*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「いつだってまるちゃんに会える」
2019.04.12
「ももこの話」を読み返した。
みんながまるちゃんを好きなように、私も小さい頃、まるちゃんが好きだった。
家には、ちびまる子ちゃんの漫画はなかったが、一緒に住んでいた、年の離れた高校生の子が持っていたので、借りて読ませてもらっていたのだ。
図書室にある本は好きなときに読めるけれど、借りるとなるとそうはいかない。
とにかくゲラゲラ笑いながら夢中で読んでいた。
だらけ癖があって、忘れ物ばかりしているまるちゃん。
宿題をやらないのも、整理整頓が嫌いなのも、自分と同じなのに楽しそうなまるちゃん。
エッセイも何度も読み返した。「ももこの話」にも好きなエピソードがたくさんある。
まず、ひとつめの「食欲のない子供」。
最後まで食べ切らないまるちゃんにお母さんは何度も忠告する。口癖は、ナイジェリアの子供たちは食べられないのに、だ。
それに対してのまるちゃんの冷静な突っ込みがもう何度読んでも笑える。子供の頃にそんな目をもっていたなんてまるちゃんはなんてセンスが良いのだろう。これが私だったら持ち前の単純さを大いに発揮して、素直にナイジェリアの子供たちに感情移入しまくってなんなら翌日には優等生ぶって作文にまで書いたかもしれない。それじゃいわゆるただの “良い子ちゃん” だ。ひねくれまるちゃんは小言に対して「考え」を持っていたから面白いのだ。まるちゃん、まるちゃんでいてくれて、たくさんまるちゃんだった頃を覚えていてくれてありがとうと思う。
「かきぞめの宿題」というのも好きだ。ギリギリまで宿題をやらないまるちゃん。身に覚えがありすぎる。でもまるちゃんは根は真面目だから、友達に電話をして、何て書くんだったっけ?と確認をするのだ。確認した結果を忘れて再び電話、なんてところも愛おしい。
読んでいる際は、いつも私は “さくらももこさん” というよりは、まるちゃんが、まるちゃんのまんま語りかけてくれているような、もちろん大人になってからの話もあるのだが、それも含めて私には作品丸ごと小学生時代のまるちゃんからのお届け物のように思えるのだった。
今回も読み返しながらしみじみ思った。作品を開けば今、ここにまるちゃんはいるなあと。何度もゲラゲラ笑った。大袈裟ではなくほんとうに何度も笑って、その間は悲しいことや思い出したくないことは考えなかった。