yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「若い読者のための哲学史」著者: ナイジェル・ウォーバートン

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「?は続くよどこまでも」

2020.03.05

 


久しぶりに小説以外の本を読んだ。

池田晶子さんの本は読みやすくて(軽いわけではない)、読んでいたが、それ以外の本は、哲学のコーナーでは、知っている前提で書かれている物が(わたしが手に取ったのがたまたまそうだったかもしれないが)多かったので、読まなかった、というか、読めなかった。
けれど、この本はその点では、なにも知らないわたしには、面白く読むことができた。また、分かりやすかった。ということは、そうでない人にとっては、入門書のようなものだから、物足りないのかもしれない。ぜんぶで40の章があって、哲学者のことが紹介されていた。過去、どのような問いを持った人が居たのか。また、結果、どのように考えた人が居たのか。は、読んでいると、これまでに、様々な問いが発せられて、また、その問いに疑問を出す人があらわれて、また、という具合に終わらない所に惹かれる。

 

しょっぱなから、質問をしすぎたせいで死刑に処せられた男がアテナイアテネ)にいたと書かれていた。なんちゅうことだ。

本書を読んでいても、それから、海外文学を読みはじめてからも改めて、考えていたのは信仰のこと。
「神」という言葉が、頻繁に登場するからだった。
でも、考えてみれば、そうだよな、と思う。
何が、そうだよな、と思うのかというと、この世があって、わたしが居て、ならば、と考えていくのは、信じる信じないに関わらずそうだよな、と思うからだった。
40の章では、神を信じる人、信じない人、信じながら人のような形ではないと信じている人、神は死んだという言葉、自由について、選択について、懐疑論、気にしないこと、無意識や夢のこと、実存、という言葉もまた出てきたし、などなど、1つの考えがあれば別の考え、数え切れない「?」は続いていて、

特に、誰も見ていないものはあるといえるのか(いまも深海に魚はいるのかな?)、とか、後は、死は、体験し得ないのだから、恐れる必要はないのだとか(これは前にも読んだことがあった、驚いた)風呂で読んでいたら(いつも風呂やな)、爆破しそうだった。

確かに、商店街など歩いていたら、「この街の歩み」とかいう写真展がよくあって、そこには自分が生まれる前の写真がずらっと並んでいて、不思議だ。立ち止まって見てしまう。だって、そこには居なかったから。でも、たくさんの「わたし」を持った人が居た。というのは、どういうことだろう?

でも、この本を読みながら思っていたのは、池田晶子さんの本を読んでいて良かったということだった。
哲学は、知識をただ詰め込んでいくものではないと、叩き込まれていたからだった。

自分の疑問について、考えることが、大切なのだった。
しかしわたしは、
知りたいが強いのでまた読みたい本が増えてしまった。
とか書いてるこれは夢かもしれない(すっかり影響され済みの人)。ヒイ!