*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「たけくらべ」
2018.05.08
だれもが知っている一葉の、「たけくらべ」についてを私はというと、まったくもって知らなかった。
と先だって同じようなことを確か「方丈記」について書いたはずなのだけれど、阿保が感想を書く、ということについて許してもらえるならば、一葉さんとの思い出は学校の授業で抱いた感激、なんてことは一ミクロンもあるわけがなく、正直いうと最近流行っている(いた?)顔交換アプリ、というものでげらげら笑って遊んでいたときに人と人との交換に飽き、そこへお顔を使用させていただいた、ということが一番に挙げられる(ひれ伏して謝罪)。
にもかかわらず「たけくらべ」を読もうと思ったのは、高橋源一郎さんの「方丈記」がたいへん面白かったというのもあるが、やっぱりそれ以上に私は川上未映子さんの書かれる文章が大好きで。直接的な作品ではなくとも目を通したくて。
もちろんこの本が店頭に並んでいたときも気になった。めちゃくちゃ気になった。が、そのとき今ほど興味がもてなかった私はすぐに閉じてしまい、やっぱりこういう古いのは(古いのは、っていうのがもう阿保丸出し)読めへんなあと思っていた。
そんな時期があったから、この「たけくらべ」を読み終わって思うこと、それはもうすごいってことだけで、こんなにも心がしめつけられるのだったらなんで授業中起きていなかったんやろう(そもそも習ったのかも不明やけれど)。
そして読み終わってからまず思うこと、自分にタイムスリップ機能はついていないけれども景色が、色が人々の声が「たけくらべ」のそこらじゅうから浮かんでくるなあということ。
それから子どもたちがもうめちゃくちゃかわいい。
田中の正太郎にいつもいいところをもっていかれて悔しい長吉かわいいし、美登利を待ってる間に「忍ぶ恋路」を歌ってからかわれて耳赤くなる正太郎かわいい。その正太郎に寝返ったといわれて板挟み、仕事は続かないけれどもひょうきんもので愛されてる三五郎かわいいし、美登利といるとからかわれるから何いわれても知りませんわかりませんと答えたり花取ってといわれて投げつけるように渡す信如かわいい。
それでそれらみんな、各々に家の事情や立ち位置なんかに思うところをもっていて。
あいつ調子のりやがって、とか本当は巻き込まれたくないのにとか板挟みはこりごりとかもう、本当にこれって遠い昔に書かれたものの訳なんかなあって自分が今この場所で読んでいることが心底不思議になる。
そんないろんな思いをもったそれぞれによって起きた喧嘩はなんだか想定外なことになって、それでその場に居合わせて額にぶつけられた美登利のこと。
美登利、美登利について書かれてあるのは短い期間のことなのに、無邪気に三五郎をいじっていた美登利がひっそりしてしまったときは苦しかった。正太郎にもう帰って、この家から早く出て行ってといったときの美登利はなにを考えていたのか、きちんとしたことは分からなかったけど、お姉ちゃんをまっすぐに見ていた美登利に芽生えた感情は、もうはしゃぐだけの美登利ではなくなる境目みたいに見えてああ、となった。
あの後の美登利の日々はどんなふうだったのか。信如に抱いた恋にも届かない、形にもならなかったものはどこへいったのか。なんてことは分からないが、樋口一葉という人はこれを私よりも年若い、しかもおそろしく短い間に書いたということも重なって、「たけくらべ」の中に確かに存在する一人ひとりが、一瞬一瞬がなんだかどうしようもなく儚いものに思えてくるのだった。
あとがきを読み、それから川上未映子さんにとっての「たけくらべ」を読んで、やっぱり読めてよかったなあこれが初めての「たけくらべ」でよかったなあと思う。
まただからこそ、入り口をつくってくださったことに感謝して、次は松浦理恵子さん訳のものそれから原文にもじっくり目を通してみたいと思った。