yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「サトコとナダ」著者: 西森 マリー/ユペチカ

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「知りたい」

2018.02.20
海外の小説を読んでいると、知らない言葉がたくさん出てくる。本を開かなければ出会うこともないであろうそれらの言葉を目にするたびに、わたしは好奇心でいっぱいになり、もちろん注釈に目を通すのだけれども、さっぱり頭に入ってこない。

なぜならわたしはそれらを「実際には」知らない。食べたことのない料理は頭の中で想像するしかないし、宗教のことは普段馴染みがうすいぶんもっと頭を働かせるしかない。

どんな味がするのだろう? どんな色をしている? 信じるものによって決断しなければならないとしたらどんな気もちだろう? そんなふうに、物語に触れるたびにわたしの頭は容量オーバーになって、なんだかほんとうの意味で読んだことにはならないんじゃないかともやもやし、けれどそれでも、やっぱり知りたいなあと懲りずに思ってしまう。

 

アメリカで出会ったサトコとナダ。

日本、そしてサウジアラビアから来たふたりは同じ部屋でルームシェアをすることになり、これまでの価値観や信仰しているもの、それから食文化の違いなどについて、お互いに共有しあいながら生活をスタートする。四コマ漫画で描かれる彼女たちの生活は、とってもチャーミングで刺激的で、何よりも優しさにあふれている。

知らない世界を知るということは、あたらしい自分に出会うことなのだなあと、分かり切ったことをあらためておもう。恥ずかしがり屋で人目を気にしがちなサトコは、信念のあるナダの言葉にパワーをもらいながら徐々にたくましくなっているような気がするし、いつもパワフルで表現力豊かなナダは、サトコの細やかな気付かいを日々吸収していっているような気がする。

とても印象的な場面がある。衣服にまつわるものだ。

あるとき、自分に似合わないような気がする、とワンピースの購入を躊躇するサトコに対し、ナダは私よりよっぽど不自由ね。と声をかける。毎日ニカブを着るナダが言ったその言葉はとても心に残っていて、表面的なものはあくまでも表面的でしかないのだなあ、ということをつくづく思い知らされる。

 

一夫多妻制のこと、結婚のこと、礼拝のこと。二巻でも、ナダは知らない世界、けれどもナダにとってはごくふつうの日常についてを教えてくれる。そして、同時にナダも知る。日本という小さい国から来た、サトコという女性について。

知りたいという気もちがあれば、たとえ全てを把握できていなかったとしても(実際にはまだ触れて見て嗅いでいなかったとしても)、もうその時点で始まっているのかもしれない。そして相手を知りたいと思うのなら、まずはひとりの人間をひとりの人間として知りたい、と思うことでしか始まらないのだと思う。

なぜならこの「サトコとナダ」に描かれている日常も、あくまでもサトコとナダのものだ。もちろん、お互いの国や文化や宗教について書かれたものではあるけれど、サトコが可愛いワンピースを選びながら躊躇するように、ニカブを着たナダが窮屈を感じていないように、サトコとナダはそれぞれ、ひとりの、ひとりしかいない人間だ。

言い換えると、やっぱり表面的なものは表面的なものでしかなくて、ほんとうに知りたいのなら、繰り返しにはなるが、ほんとうに知りたいと思うことでしか、そのひとを知ることはできないのだなあと思う。勝手な思い込みや偏見は、相手のことなどなにひとつ見えやしないのだ。

知りたい。 知らないものを知りたいと思う気もちはわたしを、ほんの少しだけとおい場所へと運んでくれる気がするから。