yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「たそがれたかこ」入江 喜和

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「わたしはたかこがまぶしかった」

2018.03.19

 

 たそがれたかこ①〜⑩を読みました。
 読み始めたころのたかこは、とても疲れているように見えました。日々の忙しさにではなくて、抱えているものすべてに機械的に動かされているような。
 母親と同居しているたかこには娘がひとりいますが、離婚をし、親権がうつっているため一緒には暮らしていません。バツイチ、そして四十五歳になるたかこは、社員食堂の厨房で千切りをし続ける日々をおくっています。
 そんなたかこの日常にとつぜんあらわれた小さな光。それは、深夜のラジオから流れてきたとあるアーティストのたどたどしい声でした。
 悪気はないけれど、何度も同じことを繰り返す母親。毎日繰り返される似たような日々。だから、とつぜんあらわれたアーティスト谷在家光一の存在は、たかこの灰色の日々をカラフルに彩っていきます。
 わたしがこの漫画をとてもいいなあと思いながら読んでいたのは、まずひとつめにたかこの普通さなのかなあと思います。主人公にもかかわらずたかこは決して秀でたところも目立つ個性もないけれど、だからこそ、とても近くに感じられる。
 それから、谷在家光一に出会ったことによってたかこの心に少しづつ変化が生まれ、それまでには無かったであろう出会いを次々にしていくところ。一見軽そうで実は誰よりも物事を俯瞰していそうな飲食店の美馬さんだったり、その恋人で我が道をいくマキちゃんだったり。みんなみんな、何かしらのものを抱えていて、だからこそ滑稽に見えるところもあるのだけれど、でも、愛おしくなって。
 別に、大切なものはたくさんでなくてもよくって、たかこにとってそれが音楽であったように、何か、自分にとってたったひとつでも救われるものがあるのだとしたら、それって思っている以上に幸せなことなんだなあと思いました。
 たかこの歩む日々を追いかけながら、時に娘一花が抱える問題やいつのまにか芽生える恋心など苦しい場面もあるのだけれど、ロックに思いをぶつけながら踏ん張り続けるたかこの足取りが、わたしには、とてもとてもまぶしかったです。