明日は緊張する予定があって(前日の夜に書いている)かなり不安なので、それが終わったらご褒美をしようと今から意気込んでいます。
ご褒美ってものすごく大きなことじゃなくても、日頃から意識したいなあと思うのはふと、あ、ご褒美って自分しかできないんだなあと思ったからで、もちろんプレゼントなどもらうと嬉しいけれど、自分一人だけで、完結できるご褒美っていうのはまた喜びが違うよなあと思ったり。
もはやご褒美を目掛けて、チャレンジはその前のジャンプ台にして飛び込んでいきたいです。
なんて書いているのは自分を鼓舞させる為なのですが。
話は変わるけれど日記って、自分への手紙のようでもありますね。
しかもこんなふうにネット上で細々と書いているのは、日記帳に書かずあえて公開しているのは言い聞かせる為というか、今日も生きてるぞ、というか、未来の自分いつか読み返してよ〜というか。
似ていることでいうと、誰かと話しているとき、相手に向かって言っているようでほんとうは、自分への確認だったりするというのはよくある話ですよね。だから悩み相談というのは否定してはいけない、とか。何度も聞いたことのある言葉ではあるけれど、やっぱり人は言葉にして思いを確認しているのだなあ。
“言葉にしたくない”、というのもやっぱり言葉であり、“日記を書きたくない”も、“なにもしたくない”も、言葉だから、言葉とは不思議だ。
言葉とは不思議だ、も言葉。
言い出したらキリがないのでこのへんで。
明日の自分、なんとかなるさ。ケセラセラ。
と、言葉の力を借りて。
では、また書きます。