yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

死の恐怖を感じた新年。

 

金沢の海の近くに住んでいるので突然の経験したことのない揺れと(つかまっていないと立っていられなかった。そしてすごく長かった)その直後スマホからの「津波警報、逃げてください」に完全にパニックになった。

家を飛び出して夫の運転で海から離れ、駅の方に走った。

ずっと息が吸えなかった。

車の中でも、スマホからものすごい音で地震の警報。

本当に死ぬんじゃないかと思った。

泣いている人もたくさんいた。すごい速さで車が走って行った。車を降りてからも走った。

どこに行けばいいか混乱して駅の商業施設に入った。大勢の人がいた。

結局家の近くの金沢港にもどれくらいか正確には分からなかったけど(テレビを見る余裕もなかった)津波は来ていたみたいだった。

津波の危険がまだあったから家には戻らず、その日は駅の商業施設で寝ることになった。

店員さん、警備員さん、自分たちも怖いだろうに、優しく冷静に対応して下さった。

カイロや、布団代わりのアルミ、パンなど配って下さった。余震もあり、みんなで揺れる天井を見ていた。

最悪だったのが生理二日目で腹痛だったこと。ナプキンも少し出かける分しかなかったので、何度もトイレに行けず。

それからもう一つ最悪だったのが、毎日飲んでいる薬を忘れたこと。急に飲むのをやめて、離脱症状が出たことがあり、どうしようどうしようと思うほどパニック発作が起きそうになった。そのための頓服も忘れてきた。ふだんは持ち物も整理整頓しているし、すぐに持ち出せるようにはなっていたけど、津波がくると言われたらなにも考えられなかった。(次の日の朝、別の病院で対応して下さった。ありがとうございました)

普段買い物している建物で商品を目の前にしながら地べたで寝るのは不思議な感じだった。

 

次の日の朝カフェの店員さんがホットコーヒーを入れてくれて、涙が出るほど美味しかった。服屋さんの店員さんは店の充電を貸して下さった。本当にありがとうございました。みなさんありがとうございました。

 

次の日になっていったん津波注意報も解除されたけど、家に帰るのも車に乗るのも怖かった。パニック発作持ちなのでとにかくそれが怖くて、余震がきたらどうしようかと不安になった。なので県庁で過ごすことにした。1日は多くの人が避難されていた県庁は、2日は解除されていたこともあり、少なかった。でも、誰かがいてくれていることだけで心強かった。もちろん一緒にいてパニックの状態の自分を励ましてくれた夫には感謝しかない(自分も怖かっただろうに。すごい汗をかいていた)

 

それからシャワーもしたかったし寝ていなかったのでいったん帰ることにした。あまりに怖くて、県庁では流れてくるニュースを聞きながら涙が止まらなかった。以前お世話になった相談員さんや、就労支援の方にも訳のわからんメールしてしまった。

 

家に帰ってとりあえず歯磨きなどして、その日は服のまま寝た。寝ていなかったから、やっと寝れた。何度か余震があった。

 

 

今回、被害の最も大きかった場所、何度も訪れたことがあります。ニュースを見るたび胸が痛みます。関西出身ではありますが、金沢に住む期間が長くなるにつれ、大好きな場所となっています。だから、私にはなにもできないですが、1日でも早く、みなさまがほっとできる時を過ごせますように。願っています。

 

なんだかずっと揺れているので、揺れていないときも揺れているように感じてフラフラする。ヘリコプターの音がずっとしてる。

 

まだ余震は怖いですが、私も深呼吸を意識して過ごします。