yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

トマス・H・クック「石のささやき」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「この一行があるからこの一行があって」

2020.04.12

 

 

「石のささやき」を読みながら思っていたのは、この一行があるからこの一行があるのだなあ、ということだった。

というのは、
先日読んだ「ローラ・フェイとの最後の会話」でも思っていたのだけれども、結末まで登場人物らの心情がひたすら丁寧に編まれてゆくから、Aが起こり、それによる変化B、からのC、というように突拍子もない展開で戸惑わされたり冷めてしまったり、というようなことが無かったのでいちいち凄いなと思いながらの最後まで。

 

だから見方を変えれば
もどかしいとも言えるのかもしれないけど、じぶんには大好物で更に言えば信じられるなあと思う。

子を亡くした母親がいて、その弟である主人公デイヴィッドは暗闇の中にいる姉を追うことで、自身も内面と向き合うことになる。というより彷徨うことになる。
不安定だった父親との過去。その父親から幼いころ日々膨大な量の文学を詰め込まれたこと、姉がいまも死に対して疑っていることや、その姉の為と思いながら姉を追い続ける、というよりかはいつしか操られているような気さえする「わたし」と。

合間に様々な作品(詩、小説、映画)が登場するのも読んでいておもしろかった。

それから、先だってわたしはオースティンの小説を読んでいて(『分別と多感』)、理性と感情について考えていたところだったので、「石のささやき」のように、二度目になるけれどもこの一行があるからこの一行があるのだなあとしみじみ納得できる文章というのはやっぱり凄いなあ。

「石のささやき」という題の通り、
人のささやきにまず耳を澄ませて、
書き殴るのでなく(わたしや!おほほ)、この作品でも大切なテーマである「声」を一つひとつすくいあげているからなのだなあと、また勉強になった。
改めて文章とは奥深いなあ。