*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「そっと宝石箱をひらいたような」
2019.08.20
一行目、一文だけで、生活の諸々で縮小中の想像力よ今こそ物語をたのしむのだ
「あつまれええ!!」
という気持ちになれて、
わたしたちの街サプラウ? 四月も雪が降って?
詩的だから文字の流れを追っているだけでもたのしくって。
それに、続きを読めば更にうっとりさせられる――「わたし」の名前は「モンツンラ」で、そのわたしが夢中になるのが「クロージョライ」という、なんと、からだにうす青い炎をまとった女の子。
クロージョライから目が離せなくなる「わたし」。心奪われて、彼女の家族も同様クロージョライに興味津々、特に兄のツンハウは虜だ、まともに目も合わせられないでいる。
あるとき、ツンハウの音楽コレクションに興味をもったクロージョライ。
ベートーベンを聴いた日。彼女のからだの炎は――ふだんはおとなしい炎は沸き立つ心とともに、轟々と勢いを増して。
ほかにも地球を出て石をならべる女の話、どこかにも同じものがあるのではないかと、胸をときめかせながら発明を続ける姫の話、雨と一体になって探偵をする話、どれを読んでも文章の力で遙かな気持ちになって、なのにちっとも非現実的には感じられず、まるで当然のことのように信じられるのだった。
*
書く対象というのは、それが些細なことであっても、宇宙であっても何であっても文章に力が宿っていれば、距離は関係ないのだ信じられるのだと思えてため息が出た。
特にひとつめの「モンツンラとクロージョライ」は忘れられない話になった。
思わず線を引きたくなる言葉が散らばっていて、ページの角が丸いのもかわいい、装丁もきれいでやっぱり、うっとりとなってしまった。