yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「お別れの音」青山七恵

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「静かに心が頼もしくなる短編集」

2019.08.28


私が作者の小説を好きなのは、ふだんは、言語化できないまま通り過ぎる些細な何かを、物語としてそっと差し出してくれるから。読み終える頃には、静かに心が頼もしくなる。日常は、わかりやすい物だけでなくそれ以外の、当の本人さえも気付かないような、本当になんてことない心の動きで溢れているのだな、というそのことに気付けて嬉しい。

「お別れの音」を読んだ。

これまでは長編を手に取っていたので、短編小説は初めて。
全部で6つの短編が収録されていた。

何か劇的な出来事が起こるとか、舞台の幕が下りるように分かりやすい結末があるわけではない。状況が、丁寧に、言葉へと置き換えられている。

例えば「うちの娘」。
大学の食堂で働いている雪子は、いつしかひとりの学生を目で追うようになる。
あんな娘がいたら、どんなふうだろう?
コート、あの子はもっと落ち着いた色が合うのに。
どうして、あんな男なんかと?
ちっとも、あの子らしくない。
雪子の頭の中で、雪子しか知らない物語はけれど日々膨らんでいって。

読みながら思う。そんなふうに誰もがきっと、日常のあちこちで物語を紡いでいるのだろうな。
たとえ、直接「書く」物語ではなくとも。
今こことゲームの世界を行き来したりとか、よく行くコンビニ店員の語尾が気になったりとか、派生してつい家族構成を描いてみたりだとか。
そういえば今日、見上げたらビジネスホテルの窓に黒いTシャツがかかっていて、小説を読んだのもあって、(でもかけた当人はまさか、下で自分のTシャツが誰かの意識にあらわれてるなんて思いもしないだろうなあ)と思ったり、それから、意図せずとも自分も誰かの今日と重なり合うことがあるのかもしれないと思ってソワソワとした。

というように作者の細やかな、心の動きを読んでいたら。
気合い入れて取り組むのが生きる、ことなのではなくて大半は、日常のぱらぱらとした、捕まえておくこともできない一粒ひとつぶが流れて行って思い出したり思い出さなかったりしたその集合体が結果、生きてきた、ということになるのかもなあなんて思ったのだった。