yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「私の中の男の子」山崎ナオコーラ

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「ひとりひとりの人生は尊い、たとえ枠に当てはまらなくとも」

2017.03.12

 

 

「私の中の男の子」の主人公「雪村」は若くに小説家としてデビューする。

 

純粋に、作家として小説を書いていた雪村だったが、予想に反して待っていた境遇は、「女性作家」として扱われることだった。

 

 

特別に容姿がいいと認識していたわけではなかったが、だからといって日常生活でひどい扱いを受けることもなかった雪村は、世の中にいったん出たとたん「ブス」「その顔でよくセックスできたな」などと書かれたネット上の言葉に驚く。

 

そして、ひどいことをされたにもかかわらず、相談してかえってきたのは「何もしないほうがいい」などの言葉で、まるでこちらが「気にしすぎている」ような雰囲気があったのだった。

 

 

女性作家として扱われることに違和感があった雪村だったが、だからといって性同一性障害という認識もなく、普通に男性と交際することもあった。けれど完全に女性というよりは、編集者の男性「紺野」に対し、自分のなかの「男」の部分が反応して憧れを抱くこともあった。それが時に、恋愛感情なのかと疑ったり、そうではない、ただ自分を肯定してくれていて、だから認めてもらえることが心地良いのだと思い直したりした。

 

 

自分は何者で、どうやって生きていきたいのか。いろいろな人との関わり、仕事に対する考え、異国への旅などを通して、雪村は自分自身と向き合っていく。それは、読みながら見守る一読者からしても、自分自身を問う意味で考えさせられるものだった。

 

 

「いろいろ」の中にはもちろん自分自身も含まれていて、ということはつまり、真逆の考えをもった人がいても当然といえる。そのように極端でなくとも、少し似ている部分はあるが、別の面ではまったく違う、というようなことがあっても少しもおかしくない。

 

 

物事は必ずしもカテゴライズする必要はなく、この物語に書かれている性別ひとつにしてみても「何にも当てはまらない」性別があってもいい。その数の多さを、できるだけ多くの「ひとりひとりの物語」を、わたし自身も考えていけたらいいなあ。そんなふうに思える、誰に向けても優しい小説だと思った。