yuriのblog

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「まともな家の子供はいない」津村記久子

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

 

「みんな、見えない何かを抱えているんだ」

 

2017.03.27

 

 


人混みを歩いているときやファミリーレストランで食事をしているとき。ふと目に映る家族が、とても「きちんと」しているように見える。

もちろんたまたま居合わせただけであって面識はないから、人となりや職業など何も知らない。にも関わらずそんなふうに思ってしまうのは、他人からすれば結局「何も見えていない」からなのだろう。

けれど、どんな人間であっても大なり小なり何かを抱えている。たとえ言葉に出さなくとも、毎日ニコニコしていようとも、それぞれにしか分からない何かを。

改めてそんなことを考えたのは、津村記久子さんの小説「まともな家の子供はいない」を読んだからだ。

物語の主人公である中学生のセキコは自分の家族が大嫌いで、ほんの少しの間も家にいたくない。

働かない父親、その父親に従順すぎる母親、どんな環境であっても素知らぬ顔をして馴染む妹。そんな家族に嫌悪感を抱くセキコは、図書館や友人の家に入り浸るようになる。

だが、だからといって友人の家族が羨ましく見えるかというとそうでもなく、みんな何かしらの歪さを持っているのだった。

ただなんとなく読み進めていると、主人公が思春期の中学生であるがゆえに、大人の歪みにばかり目がいってしまいそうになる。けれど子供たちを見渡してみても、みんなみんな、いい意味で偏屈であり、まともではない部分を兼ね備えているのだった。

……それでいいのだと思う。何を持ってまともかそうでないかなんて正解など無くて、完璧な人間なんてこの世にいない。だからこそ、「まともな家の子供はいない」というタイトルもしっくりくる。どうかどうか、登場人物の未来が明るかったらいいなあと、いつのまにか願ってしまう。

みんなみんな、見えない何かを抱えている。自分のことで精一杯のうちは忘れてしまいそうになるけれど、せめて誰かと比べてしまいそうになった時だけは思い出せる自分でいられたらなあ……そんなことを思った。

突拍子もない出来事や感動的な展開はないが、この物語にはリアリティーがあって、日常をそのまま文字に置き換えてくれたような安心感や優しさがあった。