yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「パスタマシーンの幽霊」川上弘美「快楽」青山七恵「他人の顔」安部公房「あこがれ」川上未映子

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「フォーエバー読書の秋」

2019.11.01

 

 

「パスタマシーンの幽霊」川上弘美


単純なわたしおなじ作者のをむさぼり読む。
いえーい。

「ざらざら」に続き短編集を。終わったと思っていたお話の登場人物がまた出てきたりでふふとなる。たびたび出てくる、いつも話を聞いてくれなおかつバシッとアドバイスもくれる修三ちゃん、良いなあ。
ちょいと気張りすぎた日に寝転びながら読みたくなるような(いつも寝転んでたわ)そんな短編集。

 

 

 

 

「快楽」青山七恵

 

 

からの一気読み。異国の地を訪れる2組の夫婦。
「快楽」という名のとおり4人ともが内に秘めた欲と対峙して。
読みながら、その時々の関係性によって、自分、なんてのは恐ろしく容易にすがたをかえるのだなと、信じていた自分のイメージ像も、また誰かのそれというのもおなじく頼りないものなのだなあとおもったり。

というのは4人ともじぶんの外枠、外見に縛られていたから。
かくいうわたしだってそう、気付けばグループの中の役割を演じていたりとか、着飾ったりすることだって外を飾るだけの行為でもなし、むしろ内面とばっちり繋がってるもんなあ。

 

 

 

 

「他人の顔」安部公房

 

それで読みながら安部公房の「他人の顔」、まだぜんぶは読めてないのだけど、顔に傷を負ってしまった主人公が顔なんてしょせん目、鼻、口がついてるだけの手、足、指やらとおなじ呼吸して見て嗅いでるだけのあくまでもからだの一部分でしかないのに、日常生活においては驚くほど支配されるものでもあって、というのを思い出していた。
もしも3、2、1、ハイ! でみんな一斉におなじ顔、おなじ服、おなじ身長になったなら。はたしてそれぞれの違いなんて分かるのだろうか。ひっさしぶりやなあ〜なんて自信持って、Aさん、Bさん、Fさん、見極めたりできるのだろうか。いやできないだろうな。だったら自分と他者との違いって何なのだろう……とか思ったり、話逸れちゃったけれども、そんなようなことを思いながらの最後まで。きっとすべての関係性はいびつでアンバランスで不恰好なのやろう。

 

 

 

「あこがれ」川上未映子

 

もうこりゃ駄目だなあ……涙がとまらんかった。わたしもミス・アイスサンドイッチにあいたいな。ヘガティーと麦くん、小学生ふたりの日々。愛おしい、傷だらけで、でもきらきらとしているやっぱり愛すべき日々。ふたりのまえにはまだ、大人になるまえのいろんなものが待ち構えてる。こみいった、さまざまな大人の事情とかいろいろ、まだ「とちゅう」にいるふたり。
でも、この時点、というのは「あこがれ」のなかの時点では、いまのふたりだからこそみえている世界というのがあって、どうしようもなくあって、ああ、どうかふたり物語がおわっても続いていく人生をなるべくなら笑顔で、たくさん、たくさん過ごしていけますように。もちろん、そうでない日々だってこれから嫌になるほどあるだろうけれど、なんて小説にもかかわらず大真面目におもっていた。いまもおもっている。すんばらしーリズムとすんばらしー世界観とでたまらんかったな。
はあ。愛おしい物語すぎて夜中危険。