yuriのblog

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物語は変わらず存在し続ける--読み始めた本「私はスカーレット」【日記】

 

 

先日図書館へ行ったときのこと。

なつかしいにおいが鼻の中をかけめぐって、ひたすら本を読んでいたときのことが蘇りました。

 

そのころは十冊以上一気に借りて、貪り読んでいたのですが、先日は読みたい本がなかったので帰宅し、後日読みたかった本を一冊、書店で買いました。

 

単行本なので安くはなかったのですが、一冊ずつ、ゆっくり読みたいなあ、というように本との向き合い方が変化していて。

 

そのとき思ったのがたとえ体調や環境によって本との距離が変わっても、言葉や、物語は存在し続けるのだなあという書いてみれば当たり前のことだったのでした。

 

読み始めた「私はスカーレット」という本も、「風と共に去りぬ」を林真理子さんが読みやすいように主人公スカーレット目線の一人称に置き換えたものです。

「風とともに去りぬ」の権利が切れたので、依頼されたと書かれていたのですが時を超えて、言葉は形を変えて、また誰かのもとへと届く。

作家を志すきっかけになった作品とも書かれていたのですが、後にその作品に携わるのは、なんだかすごいことだなあって果てしない気持ちになるのでした。

 

 

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そういえば数年前、読みたい本を図書館の書庫から出してもらったときのことを思い出します。

とても古い本だったので、書庫に置かれていたのですが、借りてみると何十年ものあいだ、誰に借りられることもなく、眠っていたみたいで。

状態も良くなかったので、あなたで最後になります、読み終わったら貸し出し禁止となります、と言われたのでした。

 

 

そのときも本を見つめながらぼんやりふたたびの果てしない気持ちになって、ああ、この本はずっと、ずっとあの書庫にあったのだな、そしてそれは見方によればただ一冊の本があった、というそれだけのことだけど、でもいっぽうで無数の言葉たちは、在ったのだ、なにも変わらず在った、存在していたということの驚きを隠せずにいたのでした。

 

 

 

夢中で布団の中で隠れて読んでいた子ども時代、青春ととことん付き合ってもらったあの頃、かと思えば本からうんと離れてみたり、そしてじぶんで言葉を選んで歩んでいきたい今、いつだってこちらが心配せずとも言葉は在り続ける。生まれる前からずっと、これからも。

 

 

読み終わったら感想を綴ろうと思います。

では、また書きます。