yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ゼルダに救われた夜。そして思ったこと。

 

ティアキンに救われています。ティアキンをやっている間は少し地震のことを忘れられる気がして。 

 

でもこうしてまた、スマホを触ってしまっているのですが……。

不安で、書くことで整理しているのかもしれません。

 

今回、悲しかったのはネット上のひどい書き込みが多かったこと。

見なきゃ良かったんだけど、また、見ても無視すりゃ良かったんだけど、余裕がないときは難しいですね。

 

あとそれから、ひどい書き込みとは別に、いろいろな議論がされていますが(飛行機のルールのことなど)私は亡くなられた方たちのことを思うと今はまだ、そんな気にはとてもなれないです。

 

そのことについて話し合ってはいけないなんてもちろん思いません。でも、どれだけあの場におられた方たちは怖かったでしょう。もうダメだと思われたはずです。助かった今も、まだ恐怖の中におられるはずです。そして、助けに行こうとされる中、悲しくも犠牲になられた方たちもいらっしゃいます。そのご家族もいらっしゃいます。その方たちがそんな争いを目にしたら、ただでさえ辛い中、心の余裕もない中、どこか責められているような気持ちになられる方たちもいらっしゃるのではないかと。

 

話し合うことは大事だし、自粛が必要とも思わないです。ですが、なんだか違和感を感じました。いま、まさにその真っ只中におられて、とても辛い思いをされた方たちのことは例え安全な状態でいつもと変わらぬ日常を送っていても(変わらぬ日常を送る、そのこと自体は大切です)忘れてはいけないと思います。

“温度差”という言葉を、それが良い悪いでなく、はじめて知った(言葉でなく、その状態のことを)気がしました。

 

あまりにも感情の行き場がなかったので、書き記しました。