yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

自作の小説「あかり」--*長いのでお時間あるとき、読んで下さったらうれしいです。

 

こちらは小説投稿サイトに載せていたものになります。

創作したものをまとめたい為、ブログの文章にしては長いのですが、こちらにも残しておきます。

お時間あるとき、暇なとき、読んで下さったらうれしいです。

 

*イラストエッセイと同様、養護施設で出会った先生と過ごした時間〜出て行くまでを書きました。

 

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「あかり」

 

 帰ってきてすぐ保母室へ行った。

 先生たちの勤務表が貼られているからだった。

 建物二階女子棟の先生は四人、わたしの担当は「永田あかり」といった。

 だから永田あかりの欄をチェックして日付まで辿っていった。

 間違いないきょうは宿直だ。

 軽くジャンプしたい気持ちをこらえてわたしは、先生いまどこにいるだろうと思ったけれどなんてことない顔で出て行った。

 わたしの住んでる部屋は廊下を歩いていちばん奥。部屋は四つありそれぞれ、聖書に出てくる名前がつけられていた。わたしの部屋は「マリア」だった。口に出すと「マリヤ」になってクラスメイトにひらがなで「まりやちゃん」がいたので、その子の顔がいつも浮かんだ。

 先生はトイレ掃除をしていた。

「あかり、きょうも夜いっしょに寝よ」

 と言った。

「まやおかえり」

 と言われた。

「絶対なあ約束やで」

 と念を押しておいた。

 

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 小学生になったと同時に施設へ入った。

 さいしょの担当は違う先生だったけどとちゅう変わった。わたしの担当は「永田あかり」になった。みんなが「あかり」と呼ぶから真似して、あかりと言ってみたものの緊張した。だけどさも、生まれたときから呼んでいたような顔で「あかりー」と語尾を伸ばして呼んでみたらなんかそれらしく聞こえたからそのまま呼んでいた。勤務表を調べるようになったのはいつからだったか、夕方先生が帰ってしまう日は学校からダッシュで帰った。足が取れそうなほど走って。思いきりこけたこともあった。近くの寺のガードマンのおっちゃんに「ぼく大丈夫?」と言われたけれど、訂正する暇はなかった。それよりも帰らねば。靴を玄関に飛ばし階段も二段飛ばしで駆け上がった。そしてその日髪を伸ばそうと決めたのだった。男の子に間違われたのが嫌だったのではない。先生の子どもが、ひとつ年下なのだけどボーイッシュでショートヘアが似合っていたのだ。たまに遊ぶと楽しかった。お風呂でふたりで歌い出したら止まらなくなり先生の子どもは鼻血が出た。のぼせ上がりゆでだこになったその子を急いで、風呂から抱きとり先生はふいた。丁寧に。頭の先から爪先までぜんぶ。おおきなタオルで包まれその子のからだが見えなくなったときなぜがじぶんが透明になった気がした。施設へ戻ってから施設のお風呂でも大声で歌っておいた。施設は坂の上に建てられていたけど近所にも丸聞こえだったらしい。同級生に言われた。これからは気をつけようと思ったけど三日で無理だった。わたしは歌うのが好きだった。先生とのはじまりの思い出でもある。わたしが施設へ来た日歌っていたのだった。先生は窓から、顔を突き出して、校歌だった。通ったのは実際には一週間程度だったように記憶している転校前の、小学校の校歌。そんなのまだ覚えていなかったのに「先生もなあ、同じ小学校やってん」と言ってどこから情報を仕入れてきたのか大声で歌っていた。歌詞が正しいかはわからなかった。わたしは、無言のまま部屋の真ん中にぺたんと座っていた。先生は二番まで歌い続けていた。

 

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 先生の家の風呂に先生の子どもと入ったのは長期休暇になんどか泊まりに行ったからだった。

 親と夏休みや、正月を過ごす子のほうが多かったけどその予定がない子どもは稀に、泊まりに行ったのだ。といっても毎度楽しかったわけじゃないけれど。鬼ボス猿みたいな職員に気に入られていたときは、家へと向かう車で少し漏らした。なのにもかかわらず家へ着くと天使のような態度で頭を撫でられ、夕飯には親戚もつどい頭を撫でられ手にたくさん汗をかいていた。結構辛かった。笑顔が戻せなくなって顎がカチカチに固かった。

「あかりー、絶対な」

 とまたトイレに顔出し言った。

「昨日のみたやろ? 感動したな」

 と先生。

 最近ハマっているドラマだった。ややこしい家族のややこしい物語でわたしも先週嗚咽するほど泣いて翌日学校を休んだ。じっさいは、朝まで泣いていたら疲れて起きられなかっただけだった。それもある程度泣き終わってからはなんで泣いてるかわからなくなった。泣いては天井のシミを数えたり、数十分ゲームボーイをつけたりした。むかし居た年上の子にもらったものだった。リズムゲームなのだけど気を紛らわせる際にそればかりしていたら画面を見なくても、すべてグレートを出せるようになっていた。

「絶対なあ」

「はよ歯、磨いて寝る準備しといてや」

 先生が宿直の日は一緒に寝ていたのだった。

 保母室の先生の布団に潜り込んで朝までひっつき倒す。先生は開始五秒で寝るのにもかかわらず、わたしはそれで良かった。先生が横にいるから。先生の胸が上下に動いて鼻がズーズー鳴る。せっかく鼻の穴にいびき防止用の牛の輪っかのようなものをつけていたのにまったく効いていなかった。通販で買ったらしかった。そして寝返りをうつと決まってその輪っかはコロンと簡単に落ちる。わたしと先生との間に輪っか。お前程度なら許したるわと思っていた。後はいらん。

 

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 先生はほかにも五人子どもを担当していたからわたしだけに構っていることは出来なかった。宿題を見たり時間割を見たり風呂に共に入り鼻くそを取り、誰かが補導されれば迎えにゆく。朝は起きると同時に走り回り起こし布団をはぎウザ、と言われればウザちゃうねんと言い返しカーテンを豪快に開ける。先生は専門学校を卒業と同時にこの施設に来てわたしよりずっと長くいたから、そんじょそこらの非行にも暴言にも慣れっこだった。精神が鋼を通り越して風のように一の行動をとったら、はい次の、はい次のという具合でそうでもないとやってはいけないのだ。といってもいま高三の冬を迎えたわたしはあくまでも子どもで職員とは違うけど。とはいえ何人もの先生が辞めては入って辞めては入ってを繰り返していたからすこしは、わかる。

 先生が「トイレットペーパー取ってー!」と叫んだ。バレていた。まだトイレ付近でウロウロしていたことが。

 

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 先生は風のよう、とそういえば日記にも書いたことがある。

 わたしは小五からずっと日記をつけていた。先生がわたしの担当になった小五。けれどその後すぐ先生は産休へと入った。「産休入るし」と説明されたところで当時は長くても、二週間くらいで戻ってくると思っていたら期間限定の先生が来たので驚いた。

「先生は? あかりは?」

 としつこく聞いたらそのかわりの先生に「ごめんね」と大声で泣かれた。とんでもないことを言ってしまったと思った。二度と聞かなかった。その人はノリが良くてドレッドヘアーでダンスをしていた。面白かった。子どもたちにも人気だった。わたしもよく話したし向こうからもよく話してかけてきたし、でもそれで終わっていった。あれから一度もその人とは会っていない。

 産休中、「英語のノート無くなったから倉庫から出して」と言い筆記体の練習用ノートに気持ちを書き始めた。ぜんぶで七冊あるが、もうひとつ先生用のノートはもっと多い。この間数えたら十八冊になっていた。先生用のノートとは、初めは日記だったものをなんか腹が立ち書き始めたもうひとつのノート。先生への手紙爆弾たち。

 先生に子どもがいることは早い段階で知っていたけれど産休、「もうひとり」というのはなぜか考えてもどうしても難しいことだった。

 更に、先生はあたらしく子どもをつくる。つくった! すでにお腹にいるからなかったことにはならないのだ、二度と!

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 言われた通りトイレットペーパーを持って行き部屋に戻り勉強机に向かった。

 そして書いていった。

「あかりへ。でもまやはレジ打ちでいいと思っています」

 と書いてから「でもいいと思っています」のところを消す。

 春から地元のスーパーで働くことになっていた。まだ配属先は知らなかった。レジ係が良いなとは思っていた。だから「でもいいと思っています」というのは結局レジ打ちでいい、というよりかは先生の近くに住めたなら他はなんでもいいということなのだった。例えば惣菜部門だったら髪の毛全上げ、スズメバチ駆除スタイルだがどうだっていい。なんだっていい。同級生が買いにこようが、いくらでも惣菜に値下げシールを貼ろう。グラムを計ろう。というのはバイトしてる子から聞いたことだったけど。それで先生が困る、なんてことがいくら風のような先生でも年に数回ほどはあるかもしれん。もしかしたら先生の子どもらが「しねババア」と突然連発、家に帰らなくなり喫煙、シンナーというのはあの子らに限ってはないとは思うが例えば夫に浮気され(前回放送のドラマでもあったことではないか)とつぜん離婚を切り出されるだろう。そのときわたしはせっせと残り物の惣菜をつめ持ってゆくだろう。先生の好物うどん、何玉も抱えて走るだろう近所だからすぐ着く。

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 消しゴムの圧がすごくてノートの一部がやぶれた。さっきまで頭の中にあったことをそのまま書けば良かったのに、なんにも書けないのはなんでか。ほんまに伝えたいことは書こうとしたとたん、頭の熱になり、(少なめに見積もっても三十七度代後半までメーターが上がってゆくように感じる)ほどの怒りになるのはなぜ。

 そのわりに

「あかりへ、きょうめっちゃ雪すごいな。久しぶりやなこんな積もったん。先生、またこけたらあかんで。また頭から血、出て病院でネットかぶせられるで」

 とかは書ける。どこまでも書ける。そのおかげで十八冊にもなった。これらをまとめて、五行くらいでどうにかならないかなあ、と思う。脇下をたらたら汗が流れてく。

 

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「紅茶あるで。ポット沸いてるし、入れ」

 と先生に言われた。

 パジャマで保母室まで来た。十二時半で、ほかの子どもらは寝ている。高校生は、起きてる子もいるけど。「まやって職員にこび売るのうますぎ」と数人に脱衣所で着替えていたら風呂で言われていた。不思議と腹立つことはなかった。そうだと思ったから。

「あかりも飲むやろ」

「ありがとう」

「まやな、紅茶すきやわ」

 紅茶は保母室でしか飲むことがなかったから、じぶんにとって特別な気がした。ぽたん、ぽたんと紅茶の葉をお湯に落としていると、透明なお湯に色が加わって、時間が経っていると思う。時計を見たらすでに十五分もここに居た。

「はよ、こっち入りや」

 寒いから、先生は布団を開けてくれていたけど、いつまでもズルズル飲む紅茶。

「美味しいわあ」

「わかったから」

「あかり家でも飲むん?」

「たまに飲むで」

「そうなんやあ」

 なんてことない会話を思いつくままに。布団に入ったら、きょうは疲れていたのか、すぐ眠った。そのことに気付いたのは朝だった。先生は廊下中を大声を上げて往復。みんなを起こしにかかっていた。わたしが普段、朝が苦手なのを知っていて、けれどギリギリ遅刻しないで出発するのも知っていたから、なにも言われない。

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 その日学校から帰ってきたら、純子じゅんこがピアノを弾いていた。ピアノは食堂のまえに置かれており、けれど古いものだったから、鳴らない鍵盤もある。

 なのに、純子は楽譜を見ないでも、どんどん弾けるようになった。

 純子は、わたしとむかし同じ部屋だったけど、一度退所していったから、別の部屋になった。

 戻ってきたのは最近で、理由は聞いていない。わたしと同い年。誕生日も同じ月。夏生まれ。

 純子がピアノを弾いていたら、ああ、純子いるなあ、といつも思った。そんなの当たり前だけど、ほかにピアノを弾く子はいなかったから。弾いたとしても、たいていは「猫ふんじゃった」とか簡単なやつですぐに飽きる。

 純子、一度目暮らしていたときも弾いていたかなあと思い出そうとするけど、記憶が曖昧だった。出て行く子はずっと居る子より多いし、一人ひとりの声や顔や口癖もどんどん消えていった。みんなにウケた物真似もいまでは思い出せない。

「まやちゃんおかえりー」

 とピアノを弾きながら純子。

「ただいま」

 と言った。

 こっちを見ていないのに、純子はわたしの足音を覚えているのだった。スリッパが廊下をこする音でわかるらしい。わたしは、「そんなんよおわかるなあ」と言ったことがあるけど、実は先生のはわかる。先生のは、どこか跳ねているみたいなところがあるのだった。

「きょう、一緒にお風呂入ろ」

 と誘われた。

「ええよん」

 先に二階へ上がっていった。

 

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 最近戻ってきた純子は、どこへ行くにもついてくることが多かった。お風呂。テレビ。それから、たまにわたしが日記を書いているところを、覗いてくる。部屋は違うけど、行き来は自由だから気が付いたらいつのまにかわたしのスペースにいるのだった。

「まやちゃん」

 と呼ばれていた。

「なにー」

 と適当に返すと今度はそばで人形で遊んでいたりする。漫画を読んでいたりもする。純子は学校が終わるのがわたしよりも早いことが多かった。特別学級に通っていた。走るのが速い。それにやっぱりピアノが上手いし、あとは人形で遊んでいるとき自作の台詞を作るのだけど、聞き耳をたてているときちんと物語になっている。声もそれぞれ変えているから、たまに突っ込むけど、気にしていないようだった。しかも誘われることもあった。「お父さん役やって」と言われ、「いや」と言った。そのときは、小学校に上がったばかりの子が参加した。その子にも純子は逐一指示を出して、すべては純子による物語だった。

 もうすぐ施設を出るタイミングなのにもかかわらず、なぜ急に戻ってきたのだろうと気になることもあったけど、それは最初だけですぐどうでもよくなった。そんなの聞いたところで、どうすれば良いかもわからない。むかしは、同じ部屋の子が親との外出から帰ってきた夜、トン、トンと隣で添い寝してそうしていたら先生が来て布団に戻って悶々としていたこともあったけどこっちが眠れなくなった。わたしは外出さえないけど、だからってどう思うでもないけどって。

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「純子ちゃんと洗いや」

 と言った。

 お風呂は大きいほうと小さいほうと、ふたつある。月一で男女交代だった。わたしは、小さいほうが好きだ。理由は一気に大勢が入れないから、純子とこの頃は二人きりで先生が出勤でない日はゆっくり入っていた。小さいお風呂は、たぶん先生の家と同じくらいのスペース。とはいえ、ここ数年は泊まりに行っていなかったからハッキリとは覚えていなかったけど。

「目に入った」

 純子が叫んでシャワーを渡す。

「なんで毎回入んねん」

「痛いー!」

「そら痛いやろ」

 純子がシャワーを目に当てた。

 湯船に浸かってなにも話さず、ぼんやりしていた。

「なあ、もうすぐまた『なんとか園』、行くんやろ?」

 この間、純子がそのなんとか園に見学に行ったことを聞いたからだ。

「そう、広かったよ」

「いややった?」

「んー、まやちゃん、あったかいね」

 純子はよくそうして話題を逸らしたけど、心の中で思っていることがあるのか、それともほんとうにどうでも良いのか掴めなかった。

「ここぐらい、人多い?」

「多いよ。たぶん!」

「どっちやねん」

 純子といると、必ずツッコミ役にじぶんがなるから「なんでやねん」とか純子も真似していうようになった。けれど、なんでもないときに「なんでやねん」と言うからそれにも突っ込んだ。

 純子は一度目入ってきたときから標準語だった。わたしも、それからほかの子どもたちも基本的には、関西で育ってここへ来たか、ここにずっと居るか、だからほとんどが関西弁だったけど。ほかにも純子について知らないことはたくさんあった。だけど聞いてみるよりも聞いてみないほうが、いま純子とお風呂入ってるなあ、とか実感した。

 お風呂から上がって勉強机に向かう。

 先生は、昨日宿直だったからきょうはもういない。お昼で上がり。

 だから、こんな日はノートがはかどる。はかどるといっても、やっぱり肝心なことは書けていない気がしたけど。まずは日記を書いた。というより、昨日の夜の会話をメモした。すぐに二人とも寝てしまったから特に目立った話はなかったけど。

 わたしには決めていたことがあったのだ。

 この十八冊を渡すのだ。先生に出て行く直前渡したい。それで、気持ちを伝えよう。急いで読んでもらって、そうしたらわたしのこと色々考え直してくれるかもしれん。子どもにはなれなくとも、ちょっと家族風味というか、週に二度でいいから、お互いの家を行き来したりとか、最近の仕事の様子を話したりとか、映画借りて観たりとか。

 言ってる間にあと数週間でここを出ないといけないから、このノートも書き終える必要があった。パラパラ過去に書いたページをめくった。あちこちに似顔絵を描いていた。「あかり⭐︎まや」とポスカで派手なオレンジも。

 

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 あかりへ

 あたらしい仕事、良い人ばっかりやったら嬉しいけど、そういうわけにもいかんよなあ。完璧なところなんてないし。あかりはいまごろ寝てるかな。家で。さっき純子がまたお風呂上がりもピアノ弾いてた。かなり上手いけど、上手すぎるから時々怖なる。

 


 退所が一週間後になった。

 わたしは、運動場までの坂道をゆっくり登っていた。

 よくここで遊んだのに、夏休みなんか靴下がひっつき虫だらけになるまで探検したのにずっと昔のことみたいだった。

 運動場には誰もいなかった。

 卒業式も終わったわたしは、引っ越しの片付けしかやることがなくて暇だった。

 ブランコに乗った。小さくて腰が痛かった。

 一枚紙を持って来ていた。あとボールペン。

 といっても今日書くつもりだったのは、先生に当てたノートとは違った。

 退所する子どもたちの、卒園式があるのだった。

 学校の先生を招き、そこで読む短い感謝の手紙のようなものを書くよう言われた。

 純子は、さっき聞いたら漫画読みながら「書いたよ」と言っていた。

 ブランコの下はみんなが砂を蹴るから、穴が開いていた。そこを更に蹴っていた。なにもかも馬鹿らしいと思っていた。

 感謝の手紙とはなんのための誰のための。学校の担任に向けてでもこれからのことでもいままでのことでも良いのだと言われたけど。ほかの誰でもない「あかり」に。

 先生は、当日司会進行役なのだった。

 確か去年もやっていた。

 そのときわたしは高二だったから、舞台側にはいなくて見ている側だったけど。眠たくて、首がカクンとなっていたら後ろからしばかれた。

 運動場の後ろは森だった。秘密基地を作ったこともあった。その森の中からスズメがなんだか、鳥が出てきてわたしの前にとまってまた飛んでいった。

 運動場には遊具がほかにもあって、錆びたジャングルジムは危険だから使えないようになっていた。あとはシュートの輪っかしかないバスケゴールと。ベンチと。それからプレハブもあった。スコップとか三輪車とかが入れてある場所。小学生だったわたしたちはその裏でよくおしっこをした。運動場にはトイレがなかったからだ。誰かひとりが見張っておく。そんなこともあったなあと思ったけど同時に、そのときいたメンバーでじぶんしか残っていないのも思い出した。なにしてるだろうか。ゆりちゃん。ちえみ。しょうこ。

 

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 結局白紙のまま当日を迎えた。

 どんどん会場がいっぱいになってきて、先にわたしたちは制服を着て舞台上に座っていた。

 女子はわたしと純子ふたり。男子もふたり。

 どうせありきたりなことを言っておけば良いのだ。これまで大変なこともありましたが先生や友人らに助けられて感謝しています。これからも頑張っていきたいと思います。うんぬん。

 横を見たら純子が担任らしき女のひとに手を振っていた。純子はすごい。こんな日でも余裕がある。というか、なにも影響を受けていないようだった。

「なあ、なんかゴミついてんで」

 と純子のスカートをはらった。

 すると手に折りたたんだ紙がにぎられていたから、ちゃんと書いたのは嘘じゃなかったんだなと思った。

 司会の先生の格好はふだんと別人だった。黒いツイードの膝下まであるタイトなワンピースを着ていた。夏は決まってTシャツとジーパン、冬は決まってトレーナーとジーパンだ。そのほうが断然似合うと思った。

 先に男子ふたりが紹介されて名前を呼ばれてから手紙を読んだ。ふたりとも予想より長く話していてそれに会場もシンとしていたから急に焦った。

 つぎは純子でその次が、わたしだ。

 なにを言おうかと膝をさすった。

 簡単な言葉さえ頭が真っ白で消えていたから。

「純ちゃん、純ちゃん」

 と小声が聞こえた。

 ハッとして振り向くと先生が、純子の後ろに回りしゃがみこんで純子を呼んでいた。

 純子を見ると固まっていたので、わたしもじぶんがなにを言えば良いかわからなくなっていたことは忘れ「純子、なあ」

 と肩をたたく。

 なのに純子は微動だにしなかった。ジッと床一点を見ていたからわたしは純子がロボットみたいに見えて怖くなった。このままずっとなにも話さないのではないか。

「純子ってば」

 でもよく見ると、純子の手がわずかに震えていた。「純ちゃん、緊張してんのやな」と先生は言ったけどそれよりここから退場したいように思えたから、そのままそう言ったら「そうやなあ」と先生。

 会場がつぎは来賓者たちの小声で満たされ始め、「純子、いっしょに出て行く?」と聞いた。純子が「うん」と頷いたような気がしたけどそのとき、「純子ちゃん」とさっき手を振っていた担任らしきひとが言ったから、そうもいかない雰囲気になった。

「ほんならこれ、まや読むしな」

 と紙を取った。

「うん」

 聞こえたから力強く握られていたせいでグシャグシャの紙をそうっとあけて、そんなにも心がカチンと凍るほどのどんな思いが書かれてるだろうと思ったら一言「ありがとうございました!」と大きく書かれてあって、ニコチャンマークとか、純子の好きな漫画のキャラクターとかが色鉛筆で散りばめられていた。

 だから

「ありがとうございました!」

 とそのままマイクを通して「!」も含めて言ったら、拍手が起こった。わたしは拍子抜けして椅子にどすんと座った。

 その後のことは、次の日になってもほとんど覚えていなかった。多分、あたりさわりないこと言ったんだろうけど。

 

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 残り先生の宿直は二回だけになった。

 先生が来て菓子パンをくれた。

 スーパーで安売りしていると買ってきてくれるのだ。まあるくておおきくて砂糖がたくさんの菓子パン。一度美味しいと言ったらそれ以来、買って来てくれるようになった。学校帰り机にそのパンが置かれていたら一目で先生とわかったのでニヤけた。

「ありがとう」

 と言った。

 本音を言えば食べ過ぎて三度目あたりから大好物ではなくなっていたけれどもちろん伝えたことはなかった。

「荷物まだまだあるやん」

 と先生はクローゼットを指さした。

「そやねん」

「いらんもんは捨てていかなあかんで」

「うん」

 と言ったものの勿体無くてなかなか進まなかった。

 服などは少なかったけど友達にもらった手紙とか、日記とか、雑誌の切り抜きとかが多かった。文字の思い出となると、どうも捨てられなかったのだった。

「先生さ、ここがさいしょの職場やろ?」

 と聞いた。

 不安そうに聞いたら、まもなく働き出す不安を察知してくれるかなあとどこかで思っていたのだ。数日後永遠に出て行かなければならないのだから、もちろん先生も不安であることは気付いていたけれどそれはみんなそうなのだった。わたしが求めていたのはそれっぽちのことではなかったのだった。なんていうかもっとこれからの本気の、相談がしたいのに……とか心で思ってみたとたんそんな考えはすぐ消さなければいけないと思った。というよりとてもおかしなことに思えた。

 その日の夜は、いつもより先生は起きていた。

 一階の男子棟と繋がっている電話が鳴って、宿直の先生同士話していた。

 そのすがたを見ていたら、ある夜のことを思い出した。

 その日は寒い冬の夜で、わたしたちは布団にくるまり先生の夫のメールの返信について笑っていた。ショートメールの連絡事項のみの、やりとりだった。「明日お迎えよろしく」との先生の言葉に「へいへい」。「洗濯干しといてな」に「へいへい」。どれを開いても「へいへい」しかなかったから、わたしはお腹を抱えて布団の中で笑っていた。先生もそのわたしの反応につられていつまでも笑っていたのだった。「なんなん、なんでぜんぶへいへいなん」「もう何年もずっとへいへいやん」「なんでなん」「こっちが聞きたいわ。慣れてたわ」「へいへい無理。夫婦ってなに。不思議すぎる」と言い、最後には先生が呆れるほど笑っていた。だけど次の日起きてみたら、先生との間にたった四文字しか使わないでも会話が成り立っていて、それは過ごしてきた時間とやらがあるからなのだと思った。

 また、緊急事態に巻き込まれた夜もあった。きょうのように男子棟と繋がっている電話が鳴って、男性職員が言うには「坂の下に人がいる。危険だから、警察に通報してください」とのことだった。先生は、すぐ通報してそれからわたしに「待っときや」と言い、保母室をさっと立ち上がり出て行った。のをわたしは呆気に取られて見ていた。怖がっている様子など一ミリもなく、いやほんとうは怖かったのかもしれないけれど顔には出さなかった。そして、坂の下というのは本来関係者しか入れない敷地だったので、誰かが侵入している可能性があり、それで先生はわたしが階段の影から覗いていたら、キッと一点を見据えた険しい顔でロッカーを開けてそこから一本のモップを取ったのだった。モップは、使い古された物でたとえ不審者らしき人物がいても、振りかぶったところで当たるのは黄色いモジャモジャの掃除部分がファサッと当たっただけだろう。先生なんで持ち手のほうが攻撃部分になるよう持たんかったんやろと後から思ったけどそのときはわたしも、息を呑んで見守っていた。先生のその顔が忘れられなかった。闘志の顔だと思った。先生は、あかりは本気で挑みにかかっていたのだ。

 警察が到着し調査したところ、坂の下にいたのは卒園者だった。話を聞いてお開きになったけれどわたしはそんなことよりも先生が、なぜあれほどモップ一本でずんずん歩いて行けたのだろうと思った。

 またサンタクロースにふたりでなったこともあった。

 クリスマス当日、その前年もサンタクロース役でプレゼントを配った先生は余裕をかましていた。十五分くらいあれば全員の枕元に置けるだろうと。

 しかし、その数日前からサンタのことを話し過ぎていたせいで目をしっかり開けた子どもたちはなかなか寝付かず、配り始めることができない。なので深夜三時頃まで起きていなければならなかった。すでにクタクタになっていた先生は、寝られなかった元気なわたしを誘い四つある部屋のお互い両端から配っていくことになった。

 わたしは真っ暗闇の中を、そろそろ踏まないよう歩きすると「まやちゃんやろ」と声が聞こえた。無視した。そのままその子の元にプレゼントを置いてしかし、配ってもくばってもまだある。置いたと思ったら誰かの頭だったりした。足を踏んだ。先生はどうだったか聞こうと思ったら、さっそくバレている声が聞こえた。しぶとく起きていた子どもがひとり残っていたのだった。その子を寝かしつけるのもその日は、両端から。三人川の字で「疲れたなあ」とか言い合い、言ってる間に笑いがこみあげ真ん中のおチビもケラケラ笑った。「しっ!」と先生は言った。三人手を繋いで眠った。一応、サンタの帽子をかぶっていたけれどそのまま。

 先生が

「ごめんなんの話やった?」

 と電話を置いて言った。

「なんでもない」

 と言った。

 次の宿直、ついにノートを渡すのだと思ったらいまこの瞬間に意識が集中できなかった。

 

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 純子の荷物は少なかった。

 引っ越しの準備を終わらせていたけど、大きめのトートバッグ二つ分しかなかった。

 わたしは珍しくじぶんから純子の部屋へと行った。

 とっくにやることを終わらせていた純子は繰り返し読み続けていた漫画を、寝そべって読んでいた。

「表紙ボロボロなってるやん」

 と言った。

「だってほんとにこれ、おっかしいんだよー」

 と言われた。

 純子は、数日後わたしと同じく出て行くのだ。

 そしてこれまで少なくない日数ひとつ屋根の下にいたけれども純子がどこへ行くのか、詳しくは知らなかったし今後、会うこともないのだと思ったら目の前の純子の姿がなにか幻のように思えてきたのだった。

「純子ってさあ、ほんまにいるんやんなあ」

 と思いついたまま言った。

「なーにー?」

 純子はページをぱらとめくった。

 肩につくかつかないくらいの髪の毛は、けれど全体的にモワモワと癖毛でそのせいで横にひろがっている。野菜でたとえたらブロッコリーのようだ。わたしは、その髪がふたりで湯船に浸かっていたらしゅんとなっていくのを見るのがすきだった。逆にわたしの髪はド直毛で、しかも硬く、定規のように真下に伸びていた。

「だからさー、ほんまにいるんやな、いまは」

「なにがー?」

 わたしは純子の横にドサッと落ちるように寝そべった。そしてそのまま仰向けになった。天井の染みがじぶんの部屋のとは違っていた。純子はいまここにいるのに、時間が経てば「いまはいない」に絶対に、なることがなんで?

 それは先生との布団の中の気持ちもだった。

 時計がコチコチ鳴って、特に保母室の百均で売られているようなちゃっちい時計は無駄に秒針の音がうるさかった。だがこうも思った。時計なんてしょせん人間が作ったものじゃないかと。生活の目安になるように、あとすこしで夕飯作らなあかんなあとか、寝なあかんなあとか。ということは時間なんてないのかなあと思った。少なくとも目には見えなかったから。見えているのはあくまでも針だった。だけど、それでもわたしは一年ごとに大人になってゆくし、完全なる子どもとは違っている気がした。純子は、どうだろう。人形遊びも独学のピアノもこれからもずっと続けてゆくだろうか。これから、に不安はあるのだろうか。

「あのな、まやノート書いてんねん。まいにち」

 と言った。

「おもしろいねー。まやちゃんって」

「せやろ」

「おもしろーい」

 と二度言われたので純子のほうを向いたら、二度目は漫画に対してだった。

「それ、そんなにおもろいん」

「おもしろいよー」

「飽きひんの」

 答えはなかった。また漫画の世界に戻っていたから。

 純子の近くに寝そべっていたら、畳の匂いと純子自身の匂いとが混ざり合っていた。純子の匂いは純子の匂いとしか言いようのないものだった。どこか落ち着くのだ。そしてどこかかなしい。やるせないというような。押し入れの奥にもぐっていったような感じ。

 そうしているうちある日のトイレでの出来事が浮かんできた。

「まやちゃーん」

 とトイレの個室から聞こえてきたのだ。

 純子はお得意の聴覚を発揮して、わたしの足音からわたしがトイレの洗面台にいることに気付いたのだった。

「まやちゃーん」

「なに」

「どうしよう?」

「なにが」

「ちょっと来てー」

「どこに」

「ここだよ」

 というやりとりが続いた。よくあることだった。例えば巨大な虫が服についていて身動きがとれなくなったとき。わたしも純子を呼び出したことがあった。そういったとき、純子は嫌がらず顔に笑顔を貼り付けたまま、来てくれていたのにわたしはいつも嫌そうにしていた。

「ほんなら鍵、あけてや」

「はい」

 素直に開けられたドアの向こうには純子が棒立ちしていた。パンツが汚れていた。赤黒かったからすぐわかった。

「きたん?」

 と言った。

「きた」

 と言われた。

「ちょ、待っときやあ」と言ってじぶんの私物入れまで走った。純子は成長が早かった。だけど「きた」のはわたしよりだいぶ遅かった。そのときなんだかとても泣きたかった。純子の中にもわたしの中にも、逃れられないふたつの物があると思ったのだ。つまりどうしようもなく子どもと、どうしようもなく止まってくれない時間とのふたつ。

  最後の日だった。

 正確には出発は明日だったけど、先生の宿直がきょうだからきょうがわたしの最後の日だ。

 昨日のよるはほとんど寝られなかった。

 結局書けた気がしたのは

「先生へ。これからも、よろしくお願いします」

 ということだけ。

 後は十八冊分の大量のた手紙爆弾だ。「これからも」のところに意味があるつもりだった。

 

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 先生とは十二時に保母室集合になっていた。

 わたしは十八冊をいつだったか誰かからもらい取っておいたピンクの袋に入れ、先生の様子を伺いにいった。

 食堂の後片付けを先生はしていた。一階の職員とふたりでつくえのうえを拭いていた。

 そのときだった。男の子がひとり起きてきて先生のからだに突進していったのは。

 一年まえまでは小学生以下の棟で暮らしていた子だった。寝られなくなったらしい。怖い夢をみたらしい。その子が、先生をほとんどはがいじめのように、そして先生もその子を両手を回しかがみこみ目と目が向かい合っていた。世界があった。見つからないよう階段に座り見ていたわたしは立ち上がり駆け出した。二階へと、三段飛ばし。

 なーにが「ほんとうに言いたいこと」じゃなーにが一緒に暮らしたいじゃじぶんの都合良いよう先生のことなんか考えずうぬぼれて、先生には先生の家族がある子どもがある先生の家トイレ風呂台所があるのにそれを見て見ぬふりしてたんだ。ううん見て見ぬふりどころかめちゃくちゃ、見えていたけど拒否していたんだ。そして頭の中でもうひとつ声が鳴った。そんなこと言うてもさあ先生とあんたとの間に「先生と子ども以外」のことだってあったやろ? あの日は? あの瞬間は? ってうるさいわそんなんそれ以外のことあったとかなかったとか仕事とか、仕事だけでないとかうるさいそんなんぜんぶわかっとる。

 だけど、それでも先生が良かったんや。あかりと、暮らしたかった。

 部屋に戻りノートぜんぶブチ破ってやろうと階段を手すりの力で秒で登り切った。目からおでこから脇から変な液体がするすると落ちた。すると階段すぐそばにあるトイレから純子ともうひとり子どもが歯を磨きながら出てきて

「まやちゃんやっほー」

「やっほー」

 と交互に言われた。

「うるさ」

 と言った。

「まやちゃんかなしいの?」

 と純子が言ったからいやそこはいつもみたいに「おもしろいね」とか言えやと思った。

「なあ純ちゃん、あとちょっとやでどうすんねん。怖ないんか。怖いやんな? なあ」

 と叫んで純子の肩に手を回しベランダまで連行した。そのうしろを、もうひとりがよたよたついてきた。

「まやちゃん、どうするー?」と純子が言った。

 

 

 


【終】