こんにちは。昨日の夜はウォーキング・デッドを見ていました。
既に完結はしていたのですが、特定の配信サービスでしか見ることができず、早く見たいなあと思っていたのでした。
なので自分の入っている配信サービスでドドーンど出てきたときヨッシャーと小さくひとりごと。
以前にも書いたのですが一番面白かった全盛期は過ぎたものの、それでも長く続いているドラマってすごいなあと思います。
それだけ長いとキャラクターたちにも愛着がわいてくるし、突っ込みながら見るのも楽しい(昨日はとつぜん村の祭りでプロレスが始まってさすがに吹き出しそうになった。いやあのリングよく持ってきたなあ。ほんで、あのダースベイダーみたいな軍隊の武装、どこで見つけたのか。サイズ展開豊富過ぎる)
そんなわけでまだすべては見ていないのですが、残り数話となりました。
あんなに暴威を振るっていたニーガン。ぜっったい許すまじ!!と思っていたのに今ではしれっと馴染んでいて、見ているこっちもやっぱりニーガン華あるなあ……と思っているのだった。
むかし、ウォーキング・デッドを見てからグッド・ワイフを見たりグレイズ・アナトミーを見たりしたので、ニーガン出てる!そしてぜんぜん違う!でもやっぱりニーガン!といちいち思っていたなあ。
なんか年齢を重ねて更に渋みを増している気がする。
ってニーガンの話は置いておいて。
ウォーキング・デッドを見ていると毎回「自分だったらこの世界でどんなふうに生きるかなあ」と思ってしまいます。
まあ、生き残ったらの話なんですけど(笑)
速攻で死にそうやなあ……。
ある意味人間が限られた世界だから、究極の“どう生きるか”に迫られると思うんですよね。そして価値観も180度どころか細胞からなにから入れ替わるだろうし。ニーガンの話に戻るけれど(また?)もはや誰が悪人で善人かだなんて、ここまでくると訳わからないというかみんなただ生きていくために必死だったとしか言えないですよね。
そういえば昨日はキャロル姉さんの言葉にちょっと救われました。リディアに恋人ができて、それに気付いたキャロル姉さんが嬉しそうにするのだけど、リディアは申し訳なさそうにするんですよね。でもそれを見てキャロル姉さんは「そんなふうに罪悪感持っちゃだめよ、幸せをつかむのよ」って。なぜかキャロルだけ姉さん呼びですが(笑)、リディアの気持ちが分かるので(楽しいことをしていると、罪悪感を感じてしまうことが多々ある)ジーンとした夜でした。キャロル姉さん、ありとあらゆる修羅場をくぐり、もはや哲人の領域や。
では、また書きます。