yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ダフネ・デュ・モーリア「レベッカ」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「上下巻、あっというまでした」

2019.12.15

 

 

上下巻、あっというまに読み終えてしまった。
しまった、というのは止まらない反面終わってしまうのが寂しい気持ちもあったからである。

作者の小説を読むのは初めてだった。
でも、ダフネ・デュ・モーリアってどっかで見覚えがあったような……とおもっていたらそうだった、一時期、よく読んでいたケイト・モートンの作品に「デュ・モーリアの後継者と評される」とあって手に取ってみたいなあとおもっていたんだった。
なんて、おもわぬ過去への巻き戻しでもたのしくなって。

それで「レベッカ」。
ふだんは、文体をじっくり眺める読書もすきなのだけど、この作品はひさしぶりのどんどんページをめくりたくなる読書だったなあとおもう。
というのも、書き出しの時点でもう事は「起こったあと」であると分かったからで、いまからどんな過去が回想されるんだろうと主人公「わたし」の語りに耳を澄ませたくなって。

とにかくめまぐるしく変わってゆく「わたし」の日々。
単調で、夫人に仕えている毎日にこれといってなんの期待もしていなかった。
というところへあらわれたマキシムとの出会い。
彼は、貴族で、「わたし」とは住む世界がまるで違っていた、おまけに、「レベッカ」という先妻がすでに、亡くなっていたとはいえ、マンダレーに着いてからも常時、その存在は「わたし」を脅かし、惑わせ続けるのだった。

下巻に入ってからも、“見えない” レベッカから逃れられない「わたし」、からわたしも目が離せなくて。
また、この作品でもしかしたらレベッカ以上に存在感を放っていた、かつてレベッカを崇拝していたダンヴァーズ夫人と「わたし」との緊迫の場面では風呂でヒイヒイ心で叫びながら読んでいた。

と、そんな感じで気付いたらあっというまに読み終えてしまっていて。
映画も観てみたいなあと思っていたところ、解説を読んでみたらいろいろと原作とは違う場面も多いのですね。それはそれで、どちらにも良さがあるとはおもうのだけど、原作を読んでから、すこし期間をおくのをお勧めする、と書いてあったのでちょいと寝かせておこうかなあ。