*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「一人一人が、みんな当事者だということ」
2017.04.22
映画化されていることを知らずに読んだのですが、人と人との関係は想像するよりずっと複雑で、理屈で言い表わせるものではないのだと改めて思う作品でした。
自分の身に起こっていない出来事を思うとき、人はつい「常識的に考えて」というような見方をしてしまうように思います。「親が子を思うのは当たり前だ」とか「犯罪を犯した人は極悪人だ」などというように。
けれど、当然ながら、物事は教科書通りにならない。本書「さよなら渓谷」では、改めてそう思わされるような出来事がたびたび起こり、読みながら物語にグイグイ引き込まれていきました。
ある渓谷で起こった子供の殺害事件。母親が連行され、事態は終着かと思われていたところ、隣に住むごく普通の夫婦にも疑いの目がかけられます。記者の渡辺は事件を追ううちに、二人のいびつな関係に気付いていくのですが……。
実際に経験していない出来事を本当の意味で理解するのは難しい。でも、どんな出来事であっても関わっているのは自分と同じ生身の人間であって、決して「登場人物A」などと駒のように考えることはできない。それぞれがそれぞれに、行き場のない絡まった思いを抱えているからこそ、答えなどないし、出せるものでもない。
それは、時間を追う側の記者、渡辺も家庭に問題を抱えているのと同じように、一人一人がみんな何かしらの当事者だということがつくづく伝わってきたからなのかもしれません。
誰かを思うとき、気持ちを想像するとき。完全には理解できないからこそ「当事者にしか分からないものがある」ということを心の片隅に覚えていられるかどうか。綺麗事になってしまうけれど、そんなことを痛いほど考えさせられる小説でした。