yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「無芸大食」田辺聖子

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「何気ない日常も作者の手にかかれば」

2019.06.05

 

 

田辺聖子さんの小説を読んでいると元気がもりもり湧いてくる。
「無芸大食」を読みながら思っていたのは、年齢を重ねるのも悪くないのかもなあ、なんてこと。
ふだん未来のことなんてちっとも考えず、あのときはああだったこうだったと、過去ばかりみている私にとっては作者の小説は、なにを悟ったこというてんねんこれからやで人生は、といってくれるような、とはいっても読み終わって数時間経てば相変わらず過去のほうに向いてしまう読者ではあるのだが、少なくとも読んでいるあいだはほんとうに力が湧いてきて、食べて、寝て食べて「じぶん」だけのとっておきの日常をたのしんでいる登場人物たちに、ほんとうに元気をもらえるのだった。
「無芸大食」のなかでいちばん好きなのは冒頭の「いわしのてんぷら」という作品。
五十八でひとり身の「私」のことを、周囲は同情の目でみてくる。が、「私」にとってはそんなのちゃんちゃらおかしいというか、的外れもええとこというか、これまでをすごくたのしんで生きてきたし、これからもまだまだたのしんでいこうとおもっている。そのことを誰かに分かってほしいと、声を上げていうつもりもない。ただそう生きてきただけ。たのしんで、働いて、苦労もありながら生きてきただけ。そんな「私」が「河中サン」とごはんへ行く。なにがあるわけでもなくふたり会話して、食べて、何気なく盛り上がって。「私」のなまえが「うらら」というのも素敵だった。
ほかにも卵が大好きでオムライスをつくる滝本、むかしは貴重だった卵を使ってキッチンに立つのをたのしみにしている。それから「無芸大食」のよく食べる秋江と義理の母。どれもおいしそう、どれもたのしそう、辛いこともあるけれどもやっぱり、いまにも本から声がきこえてきそうでたのしそうなんである。
きょうはきのうには明日だったのにきょうになってしまって明日にはきのうになる。なんてことばかり考えて、ウジウジ、前を向けないような日々、もちろん、前を向くだけがすべてではないが、というか生まれ変われそうにはないが、同時に単純でもある私、開いたら一秒後にはからっとした関西弁の物語に心惹かれて、一気にたのしい気持ちになれるのだった。頑張ろうとおもえるのだった。

うん。頑張ろ!